音楽の力は差別や貧困をどう変える?ヤマハのコロンビアでのプロジェクト 舞台裏に迫る
Case: Yamaha『I’m a HERO Program』
話題になった、または今後話題になるであろう日本国内の広告・クリエイティブの事例の裏側を、案件を担当した方へのインタビューを通して明らかにしていく連載「BEHIND THE BUZZ」。
今回は、格差や貧困から生まれる差別意識や偏見などに立ち向かう子どもたちに焦点を当てたYamahaの「I’m a HERO Program」を取り上げます。今年日本との修好110周年を迎えたコロンビア共和国を舞台に、コロンビアの貧困地域で暮らす子どもたち26名がコロンビア国内のサッカー1部リーグである「カテゴリア・プリメーラ A」において、大観衆を前にコロンビア国歌を演奏しました。その際に使用された楽器は、Yamahaオリジナルの「Venova™」(ヴェノーヴァ)という新しい管楽器。より多くの方に管楽器を通じて音楽を楽しんでいただきたいという思いから、壊れにくくメンテナンスもしやすい楽器として開発した新しい楽器です。約半年間の練習を経て披露された演奏は、現地コロンビアで大々的に取り上げられ、多くの人に感動を呼びました。
「I’m a HERO Program」に込めたYamahaの思い、本番当日の様子、現地での反響について、ヤマハ株式会社ブランド戦略本部の嘉根林太郎さん、株式会社エイド・ディーシーシークリエイティブディレクターの山中雄介さんにお話をうかがいました。
音楽の力が子どもたちの人間的成長を促す
―どういった経緯で「I’m a HERO Program」はスタートしたのですか?社会問題にYamahaが取り組む理由について教えてください。
嘉根:中南米では、非行防止・貧困撲滅のために国策として行われている「エル・システマ」というベネズエラの音楽教育活動を発端に、音楽の力で子どもたちを非行や犯罪から遠ざける青少年オーケストラ・バンドの活動が広がりを見せています。
Yamahaはそういった活動をサポートするため、楽器の修理問題に着目。2014年から「AMIGO Project」という活動をスタートさせ、現地の人々が自分で楽器をメンテナンスできるよう、ワークショップを開催したり、楽器の修理ができる技術者の育成をサポートしてきました。さらに、Yamahaは独自に「Venova™」(ヴェノーヴァ)という壊れにくい管楽器を開発し、楽器の修理問題の根本的解決を目指しています。
今回の「I’m a HERO Program」では、子どもたちの中に音楽への憧れを創出し、音楽がひとつの選択肢になるのだと知ってもらいたいというのが当初からの思いでした。
―社会問題を取り扱った今回のプログラムは、Yamahaの事業や理念にどのように結びついているのでしょうか。
嘉根:今回の企画は、社会貢献性が高いプログラムというだけではありません。Yamahaの楽器販売のビジネスにつなげる活動でもありました。Yamahaがビジネスを世界で展開するためには、現地の人々が楽器を演奏する下地を整える必要があります。そのことがYamahaのビジネスにつながり、その先に、現地の音楽の発展につながると考えています。
山中:Yamahaのコーポレートスローガンは「感動を・ともに・創る」です。楽器を作って販売するだけでなく、その先にある感動を一緒に作ろうというものです。音楽の力を使って感動を生み出し、社会を前進させるという意味で、今回のプログラムはYamahaの存在意義につながるものだと思います。
―「音楽を子どもたちのひとつの選択肢にする」とは、具体的にはどんな問題の解決を意味するのでしょうか?
嘉根:コロンビアの貧困地域に住む子どもたちは、極端にいうと、サッカー選手になるか、非行に走るかというように、将来への幅広い選択肢を持つことが困難な環境に置かれていると考えています。今回のプログラムでは、そういった子どもたちに音楽という選択肢を提示することで、練習を通じて感性を育み、人間的成長につなげることができたと感じています。今回のプログラムは、彼らの人生の転機になりうるものだったと思います。
サッカースタジアムはコロンビアの人々にとって憧れの象徴
―貧困問題を抱える地域はたくさんありますが、コロンビアを舞台に選んだ理由は何ですか?
嘉根:コロンビアにあるYamahaの販売代理店が音楽教育活動に非常に積極的だったことが一番大きな理由です。彼らは貧困地域の子どもたちに向け、独自の音楽教育カリキュラムを実施しています。
山中:現地にプログラムを実施する環境が整っていることで、現地の人たちが仕組みに賛同し、プログラムを推進してくれました。しっかりとした受け皿があるという点でコロンビアは最適でした。
―サッカースタジアムを演奏の舞台に選んだ理由を教えてください。
嘉根:コロンビアでは、「憧れの舞台=サッカースタジアム」という共通認識があります。音楽とサッカーではジャンルが全く違いますが、子どもたちをヒーローにする憧れの舞台を用意するためには、サッカースタジアムが最適だと考えました
山中:音楽によって子どもたちの選択肢を増やすためには、音楽に興味がない人たちにも振り向いてもらう必要がありました。コロンビアでは、街中あらゆるところでサッカーをしていて、サッカーが生活に根付いています。コロンビアの人々にとって、サッカースタジアムは「憧れの象徴」です。その舞台に立つことが、ひとつのヒーロー像の提示になると思いました。
―文化が全く違う異国でのプログラム実施ということで、困難が多かったのではないでしょうか。
嘉根:現地のステークホルダーなどとの調整で時間がかかり、実施まで1年弱かかりました。仕事に対する考え方など文化が違うため、現地の方とのコミュニケーションはやはり大変でした。
しかし、最終的には現地の制作会社もYamahaの販売代理店も、みんながプログラムに賛同してくれました。同じ方向を向き、誰もが熱い思いを持って取り組んでくれました。
プロジェクト参加によって変わりはじめた子どもたち
―プログラム名「I’m a HERO Program」に込めた思いを教えてください。
山中:まず、誰にでも分かるシンプルなタイトルであることを意識しました。その上で、10人いたら10通りのヒーロー像があるように、誰もが誰かのヒーローになれる。そんな思いを込めてタイトルを決めました。
このプログラムに関わる人たちはみな“I’m a HERO”と何度も口にするようになります。その言葉は、言霊のように発した人に返ってきて、いつしか自分たちを奮い立たせるような自信につながったように思います。
プログラムに参加してくれたマークという男の子は本番の演奏を終えて、“I’m a HERO!”と叫び、喜びを爆発させていました。子どもたちの間にも、このテーマがしっかり根付いていたのだと思います。
―9月30日の本番当日の様子を教えてください。
山中:大舞台を前に、緊張とワクワクで押しつぶされそうになっている子どもたちの様子が印象に残っています。中には、泣き出してしまう子もいました。子どもたちは選手と手をつないで入場した後、バックバンドと共に数万人の観客を前に国歌を演奏しました。見ているこちらまで誇らしい気持ちになる演奏でした。
将来、音楽をしてくれたら一番うれしいですが、音楽ではなくても、今回のプログラムが何かのきっかけや自信を持つことにつながったり、生きていく糧になってくれたらいいなと思います。
嘉根:演奏が終わった後は、子どもたちも、応援し続けたお父さんお母さんたちも、みんなが涙、涙でした。会場の雰囲気もとてもあたたかかったです。運営側の私たちも、無事に終わった後の達成感はものすごいものがありました。
子どもたちはこの大舞台に向けて努力を重ねてきました。ひとつのことを成し遂げた経験は、彼らの今後の人生にとって大きな財産になってくれればと思います。
―プログラムを通して、子どもたちや周りの人たちに何か変化はありましたか?
山中:最初は、お父さんの後ろに隠れるほどシャイだった7歳の女の子が練習期間を経て、見違えるように自己主張するようになるなど、プログラム参加を通して子どもたちそれぞれに変化が生まれたのを感じました。
プログラムに参加してくれた子どもたち4人に出演してもらい、ドキュメンタリームービーを制作しました。子どもたちの成長の様子を描いています。ぜひご覧ください。
嘉根:本番に向けてみんなと一緒に努力したことが、彼らの考え方や行動を変えました。「音楽の力」とよく聞きますが、実際のところ、音楽は万能ではありません。音楽の力だけで世界に平和をもたらすことは難しいかもしれません。しかし、個人の考え方は確実に変えられると実感しました。音楽の力強さに私たちの方が気付かされました。
プログラムに参加してくれたパッチョという男の子は、家に帰って練習をするために、悪い人たちと付き合わなくなったそうです。よくない歌詞の歌は自ら避け、きちんと音楽を選んで聞くようになったともいっていました。自分を変える意識が子どもたちの中に生まれていました。
現地大手メディアで取り上げられ、Twitterトレンドワード1位
―コロンビアでの反響について教えてください。
嘉根:テレビ中継で放映され、現地のメジャー新聞『エル・スペクタドール』『エル・ティエンポ』で取り上げていただきました。Twitterのトレンドワード1位も獲得しました。市長やサッカーチームの社長からは前向きなコメントをいただき、参加した子どもたちの今後のサポートを約束してくれました。Web関連では、合計約2,200万以上のインプレッションを達成しました。コロンビアの人口は5,000万人ですので、比較的大きな数字だと思います。
山中:試合後の観客インタビューでは、スタジアムで生で演奏を聞いていたお客さんたちから「感動した」「幸せな気持ちになった」という声がたくさん寄せられました。
―「I’m a HERO Program」の今後の展開について教えてください。
嘉根:まだまだ構想段階ですが、今回のような企画を継続的に実施したいと思っています。今回参加してくれた子どもたちについても、継続してサポートしていきたいと考えています。
山中:貧困問題にさらされている子どもたちへのサポートとして、経済的な支援だけではなく、音楽による支援がともに行われることによって、差別などの見えない壁を打ち壊す力になると信じています。誰に対しても平等で、みんなをハッピーにしてくれるのが音楽です。発展途上国で今回のような取り組みが広がるよう活動を続けていきたいですね。
(左から)ヤマハ株式会社ブランド戦略本部 嘉根林太郎さん、株式会社エイド・ディーシーシークリエイティブディレクター 山中雄介さん
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