岩手と沖縄の絆広告!? 岩手のブランド米発売30周年「金色の風」「銀河のしずく」PR展開
株式会社岩手日報社と全国農業協同組合連合会岩手県本部は、2024年10月26日(土)から12月上旬まで、岩手のブランド米発売30周年を記念したPR事業を沖縄県と首都圏で実施します。
1993年に大冷害に見舞われた岩手県は、翌年に作付けする種もみを確保するため、沖縄県の協力を得て、約2500km離れた石垣島で「種もみ緊急増殖事業」を行ったという歴史があります。この事業で使われた岩手県初のオリジナル水稲品種は、両県の絆を象徴する「かけはし」と名付けられ、1994年10月26日(水)に市場デビューしました。
今回展開されるPR事業は、岩手・沖縄の地方紙3紙への広告掲載、沖縄県庁や石垣市役所などへのPRキャラバン、沖縄県と首都圏での販売PRイベントなどが予定されています。これらを通して、岩手の生産者から沖縄のみなさんへ30年目の感謝を伝えるとともに、「かけはし」の“後輩”として市場から高い評価を受けている岩手のブランド米「金色の風」「銀河のしずく」のPRを行うものです。
冷夏による全国的な米不足「平成の米騒動」が起きたのは1993年。岩手県は水稲作況指数30(著しい不良)という大冷害に見舞われ、翌年の種もみの確保も困難な状況に陥りました。そこで、二期作が行われている沖縄県の石垣島で前例のない「種もみ緊急増殖事業」が行われました。
同年12月に岩手から石垣島に運ばれた種もみは、岩手34、36号の計2トン。農家64戸の協力により石垣島の水田面積の5分の1にあたる50ヘクタールで栽培が行われ、1994年5月に目標の72トンを上回る116トンに増やして岩手に戻りました。そうして危機を乗り越えたのち、94年の秋は大豊作となり岩手34号は「かけはし」、同36号は「ゆめさんさ」と名付けられ、岩手県初のオリジナル水稲品種として消費者に届けられたといいます。
種もみ緊急増殖事業では岩手県から職員を派遣し、現地との調整を行いながら栽培が進められました。岩手から伝えられた水稲栽培技術は石垣市の稲作に大きな影響を与え、現在主力品種となっている「ひとめぼれ」は、6月に出回る日本一早い新米「超早場米」として知られています。こうした縁で始まった岩手と沖縄両県の「かけはし交流」は、農業分野だけではなく、スポーツ(マラソン交流)や教育分野(八重山高校と盛岡第四高校の姉妹校交流)など幅広い分野で広がり、両県は今も強い絆で結ばれています。
また、沖縄県石垣市の真栄里公園には、「種もみ緊急増殖事業」の陣頭指揮をとった故・高橋洋介氏(当時岩手県農政部長、元岩手県副知事)と故・菅原邦典氏(当時石垣島派遣職員)の功績をたたえ、顕彰碑が建立されています。
そんな両県の絆を背景に展開される今回のPR事業において、スタートとなる施策は岩手日報、沖縄タイムス、琉球新報の3紙合同企画。10月26日(水)付け各紙に1ページ広告を掲出し、岩手と沖縄の3人の生産者のメッセージを掲載しています。3紙並べるとアーチ状の“架け橋(かけはし)”が現れるデザインとなっているところが特徴的です。
また、各紙面の“お米の便せん”は両県の絆と30周年のお祝いをイメージした、赤い糸(水引)でつながっています。各紙に登場する生産者は、岩手日報に「かけはし」の種もみを生産した大濵博彦さん(沖縄県石垣市)、琉球新報に「金色の風」生産者・森岡誠さん(岩手県奥州市)、沖縄タイムスに「銀河のしずく」生産者川村厚さん(岩手県花巻市)の3名です。
岩手と沖縄の両県の歴史的な結びつきを反映した今回のPR事業。最初に展開された3紙合同企画の新聞紙面広告は、その特性を活かしながら3紙並べるとアーチ状の“架け橋(かけはし)”が現れるデザインというところに、両県の結びつきの強さや感謝の思い、施策背景が込められた秀逸なデザインで訴求しています。
お米の便せんに込められた各県の生産者のメッセージや水引をイメージした赤い糸のあしらいなど、30周年のお祝いムードも満載です。実り豊かな稲穂を手に、青空のもとに撮影された生産者の写真とともに伝えたい情報を包括するビジュアルに仕上がっています。
新米が届き、おいしさを享受する季節。PRキャラバンやイベントも含めて、多くの人にお米のおいしさとその存続のために尽力してきた歴史や関わる人々の思いを届ける、心温まる施策事例がありました。
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