PRの未踏領域へ、現場とアカデミックから迫る #3

日本と海外のPRの違いについて

PR EDGEは、現在国内外のPR事例を取り扱うメディアとして更新していますが、「すべての行動者とともに、パブリックリレーションズの未踏領域へと切り込んでいくこと」をリニューアルのテーマに据えていました。

そして、その“パブリックリレーションズの未踏領域へと切り込んでいく”ためのひとつとして、上智大学の新聞学科にて広報論、広報史の准教授を務める国枝智樹さんを迎え、PRパーソンがある種の閉塞感を感じてしまうタイミングにおいて、現場とはまた別の視点からPRと向き合うことで現状打破できるようなきっかけづくりになること、また、併せて、今後のPR業界の発展のため、現場とアカデミックを繋ぎ、橋渡しになることを目指し、対談形式のコラムを提供していきます。

PR EDGE編集長・大原絵理香(以下、大原):引き続き、世界と日本のPRについてお伺いしてきて、日本はPRもガラパゴス化して、独自の進化をしているという話でしたが、世界から見て、日本のPRってどうなんでしょうか。

国枝智樹(以下、国枝):日本のPRが注目を浴びることはまだ少ないですが、国際的な賞へのエントリーなどを通して、少しずつ存在感を強めて行っている段階にあると思います。欧米のPRの基準からすれば周回以上の遅れがあると思いますが、独自の文脈で進化してきていることも考えると否定することでもないので、評価が難しいですよね。

大原:そうですね。しかし、PRを広く見ると政治の世界でもPRは存在していて、良くも悪くも「東京2020オリンピック」に対しては世界中から注目をされているとは思っているのですが……。

国枝:はい。ただ、PR自体を否定的に見る傾向が強い国もあります。イギリスのある調査では「将来子どもにはPR産業で働いてほしい」と思っている人は5%だったという結果も出ています。

大原:それは……同業者としては悲しいですね……。でも、日本国内においては、むしろPRの価値はどんどん上がっていて、わたしがPRパーソンになったタイミングよりも、PRパーソンがやれることもやるべきこともかなり増えたと思います。最近はすこし落ち着いてきましたが、ベンチャー・スタートアップの流れで、本当にたくさんのPRパーソンが生まれたと思いますし。

国枝:そうですね。あくまでもわたしの想像ですが、日本におけるPRのイメージが悪くなっていない理由のひとつとして、官房長官を報道官や広報官と呼ばないことがあると思います。日本の官房長官は日々記者会見に対応する報道官の、PRパーソンの役割も担っていますが官房長官という名前のために広報やPRと繋がらないんです。

官房長官がもし誤った情報を伝えたり、重要な情報を故意に隠したりするなどしたら、官房長官として叩かれると思うのですが、もし同じことを広報官や、アメリカの大統領府報道官といった肩書の人物がやったら、日本における広報官や広報、さらにはPRという言葉のイメージは悪くなっていたと思います。

大原:アメリカだと、報道官は「プレスセクタリー」といって、「プレス」という言葉が入っていますからね。

国枝:はい。他にも、1972年にワシントンD.C.で起きた「ウォーターゲート事件」。リチャード・ニクソン大統領が重要な情報の隠蔽を伴う政治スキャンダルについて「パブリック・リレーションズの問題は、パブリック・リレーションズで解決できる」と認識していたことがニューヨーク・タイムズなどで報じられました。

この事件をきっかけに、アメリカでは「パブリック・リレーションズ」という言葉の使用を避け、「コーポレート・コミュニケーション」という言葉を使うようになったと言われています。最近でもドナルド・トランプが新型コロナウイルスへの対応について「わたしはPRの戦いに負けた」とコメントしていて、アメリカでは、PRが印象操作をするというような意味も含む言葉として広まってしまっています。

アメリカのような例は他の国にもありますが、日本にはなかったことを考えると、日本はPRパーソンにとっては、すこし生きやすいかもしれません。もちろん、今後イメージが悪くなる可能性はありますが……。

大原:PRパーソンの足を引っ張るのはPRパーソンだということは、よく聞きます(苦笑)。その、悪くなるというのは、例えば、もっと政治の世界にPRが介入し、介在することが当たり前になり、それに対して国民が持つイメージということでしょうか。

国枝:そうですね。政治家や政党が絡むPRが注目される時は否定的なかたちで報じられることが多いですよね。例えば、2019年に自民党がファッション誌「ViVi」とコラボした事例。企業であれば問題にならないようなコラボでも、政府や政党がやると世論操作だ、プロパガンダだ、という話になってしまいがちです。

先ほどの話にすこし戻りますが、フィンランドではPRの概念を同国に紹介した人物自身が不正行為に関わり、以後PRではなく、「コミュニケーション」という言葉を使うようになったようです。海外では「ストラテジック・コミュニケーション」という言葉が使われることもめずしくないですよね。

基本的には新しい言葉ほどより総合的で戦略的であり、優れているということになっているようですが、それぞれの言葉のニュアンスの違いについて共通認識はないと思います。

大原:その流れは、なんとなく日本でも見受けられますね。戦略PRからはじまり、コミュニケーションという表現にしてみたり、広報とPRは違うものとされていたり、公聴はさらにまた違うものとされていたり。だからこそ、宗教観の違いが出てくるんだと思います。

国枝:それもある種、ガラパゴス的な進化と言えるでしょうね。

大原:わたし個人としては、本当はPRだけでもいいのですが、それだけだとまだまだ上流のみのイメージがあるため、対クライアントやパートナーに対しても分かりやすいよう、肩書きとしてはPR/広報と名乗っています。

国枝:アメリカでは、PRという言葉を使わない方がやりやすい、という空気感もPRパーソンの間では流れてはいるみたいなのですが、幸いアカデミックな世界では「パブリック・リレーションズ」という言葉で統一されていることが多いので、大原さんはアメリカ的な発想があるのかもしれません。

大原:そう伺うと、環境は強いんだなと感じます(笑)。ちなみに、アメリカの政治における、一番日本で浸透しているイメージは「ロビー活動」だと思っています。日本でも公開され、社会派サスペンスとして評判の高かった「女神の見えざる手」でも、ロビイストが暗躍していることが描かれていました。この「ロビー活動」って、アメリカ以外の他の国ではどうなんでしょうか。

国枝:「ロビー活動」といえばアメリカ、というイメージはありますが他の国でもロビー活動について話を聞くことがあります。ロビー活動の代わりに「パブリック・アフェアーズ」や「イシューマネジメント」という言葉を使うこともめずしくないですね。

大原:「パブリック・アフェアーズ」は最近日本のPR業界でも耳にすることが増えてきましたね。しっかり基盤をかため実証実験やその後に進んでいるところもありますが、海外では成功しているのに、日本においてステークホルダーへのコミュニケーションに失敗して、すっかり話を聞かなくなってしまった事業もあります。

国枝:そうですね。国会議員など政治家に対して説明をすることも伴う「パブリック・アフェアーズ」では、日本は欧米に比べてその手続が不透明で、日本独特のハイコンテクストな政治のあり方を理解しなければ成功しないと聞いています。

大原:「パブリック・アフェアーズ」しかりですが、個人的にはこうやってPRパーソンが担える仕事が増えていくのは、本当に喜ばしいことだと思います。やっぱり、プレスリリースやプロモートを一生やっていきたい人って少ないと思うんですよ。もちろん、プレスリリース一本で取材が決まったり、さまざまなメディアの方と仲良くなるのはとても楽しいんですが、必ずどこかで天井が見えてしまう。

だからこそ、その天井を壊すため、わたしは改めてアカデミックに学んでいるんだと思いますし、このような機会を作っていただくことで、現場とアカデミックを繋ぎ、自分自身はもちろん、天井が見えてしまった人に対しても、また、なにかしらもやもやしている人に対しても、なにかしらのヒントになればいいなと思っているんです。

国枝:先ほども感じましたが、やはり大原さんはアメリカ的な発想が強いんだと思います。アメリカだと、PRやジャーナリズムの学位で大学を卒業し、PRの現場に入り、テクニカルなことを中心にこなしていくものの、キャリアアップを目指す際に必ず天井にぶつかってしまうんです。そこで大学院に通い、マネジメントや総合戦略など、もっと理論的な話を学んだり、多くの企業の事例研究に触れてで修士号や博士号を取得し、さらなるキャリアアップやプロフェッショナルとしての成長を目指すことがめずらしくありません。

大原:わたしも何度か大学院という選択肢を考えたこともあるのですが、PRにおいて先ほどもすこし話しましたが、ここ数年でPRパーソンの可能性がもっと広がったこともあり、個人的には過渡期だなと思っています。なので、このタイミングではまだ現場にいるべきだな、という考えのもとまだしばらくはこのままでいるつもりです。

国枝:大原さんのおっしゃるとおり、PR業界はまだ過渡期にあるのだと思います。また、実際問題としては、日本でアメリカのPRの大学院と同様の教育を受けることはできませんし、たとえアメリカに留学しても、アメリカのPRをめぐる環境が日本と大きく異なる、という別の問題に遭遇してしまうでしょう。

本来であれば、日本の大学院で、しっかりと日本でも世界でも通用するようなPRを学べるようにするべきなのでしょうが、日本の広報研究は過渡期はおろか、まだまだ発展途上にあり、PRパーソンの役に立つ成果をコンスタントに生み出すところまで至っていない気がします。

大原:現場も過渡期であるのと同時に、アカデミックな場ではさらなる発展が課題になっているんですね。ありがとうございました。PRの歴史、日本と海外の違い、とお伺いしてきましたが、次回はまたすこしテーマを変えてお伺いしていこうと思います。

国枝:よろしくお願いいたします。


国枝智樹@tkunieda84
上智大学大学院文学研究科新聞学専攻博士後期課程修了。博士(新聞学)。研究テーマは広報史、危機管理広報。共編著に『Public Relations in Japan: Evolution of Communication Management in a Culture of Lifetime Employment』(Routledge、2018)。


大原絵理香@ericaohara
PR EDGE編集長。米NJの大学でPRを学んだのち、外資系ゲーム会社に勤務。その後、ホールディングスカンパニー、一部上場企業、ベンチャー企業、代理店など様々なレイヤーでPR/広報に従事。現在は、CHOCOLATE Inc.所属。

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