夢と希望をコーヒーの香りにのせて。“旧ソ連占領下にいた人”へ届いた心温まる小包

時は1981年。旧ソ連の支配下で、ポーランドで居住するとは“食べ物や洋服、薬などの生活必需品も与えられずに暮らす”ということでした。自由こそ、皆が求めていたこと。しかし明るい未来への良い見通しや自由への到達は、とても遠く手の届かないゴールだったのです。

そんな鬱屈とした日々を送るポーランドの人々へ、“希望と励まし”のメッセージが、コーヒーの香りがする小包と共にポーランドに送られて来ました。当時の彼らにとって、その小包にどんなに力をもらえたことか…そこには明日への希望が詰まっていたのです。

ソ連の支配下のもと、生活必需品すら不足の日々

社会主義政権のもと、人々は物資の配給を得るために列に並びます。これが当時のポーランドの日常でした。


希望の光ともなりうる小包の到着

そして1981年から約3000万個の小包が、コーヒーの香りをのせてポーランドへ送られました。世界各地から、匿名の寄贈者も多かったといいます。

スウェーデンのオリンピックメダリスト

当時小包を送り続けていたというトーマス氏は、オリンピックメダリスト。「毎日郵便局に小包を持っていったよ。コーヒーや、必要なもの全てを詰め込んで。」と、当時の思い出を語ります。そしてその送り先はというと…

当時16歳の少年

「僕は16歳で、レスリングをしていたんだ。でも当時は道具もシューズも何もなく。そんなある日、突然小包が届いて。初めてマットで闘うためのプロフェッショナルのトレーニングシューズを手にしたんだ。彼が送ってくれた小包は、より良い世界への切符のようなものだった。」と語るのは、ポーランド、ANDRZEJ氏。

子どもたちへ、あたたかなセーター

ある女性は、「3人の子どもたちに温かいセーターをもらったわ。そして、何だか彼らと心がつながった気持ちがしたの。」と、当時の心の交流を昨日のことのように思い出しています。あたたかなコーヒーの香りと共に。


25周年を記念して

1989年、円卓会議により平和裏に体制転換がされ、旧ソ連圏で初めての非社会主義政権が誕生。そして、ポーランドのコーヒー“Cafe Prima”も誕生しました。自由と自国のコーヒーを手にしたポーランドの人々が、25年目にして思ったこと、それは…

「感謝の気持ちをシンプルに伝えることが出来たなら…」

社会主義政権が崩壊してから25年、コーヒーの香りがした小包がもう一度世界を旅することに。今度は、過去に私たちを救ってくれた人々にお礼を言うためです。

コーヒーの旅、再び

プリマコーヒーは過去の小包の経路を辿り、贈り物をしてくれた3人のヒーローを探しだすことに成功。そしてポーランドの3家族が、過去の恩人に会い、感謝の気持ちを伝えるべく旅に出かけたのです。ポーランドで一番のコーヒーを、小包に入れて。


コーヒーと共に手渡したものとは?

そして当時16歳だった少年が、レスリングシューズを贈ってくれたトーマス氏に手渡したものは…そう、ピカピカに光るオリンピック金メダル!これ以上のお礼はないのではないでしょうか。

その他の寄贈者には、「心からの贈り物だったよ。」と、イタリアの電車運転手アントニオ氏。「私たちには何でもあるけれど、彼らには何もなかったから。」とは、フランスの歌手、ダニエル氏。彼らのあたたかな気持ちに、ポーランドの人々はどれだけ救われたことでしょう。

ポーランドのコーヒー、“Cafe Prima”のコマーシャル。約3000万個の小包が辿りついた先に、3000万の笑顔と希望が生まれた感動ストーリーを、ぜひご覧ください。

(参考サイト:adeevee

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